哲学とは何なのか?浦壁さんに尋ねた

浦壁伸周と哲学

「哲学」という言葉を聞くと、難しい学問のように感じます。
しかし実は非常に身近な考えの事だとも言えます。

「私とは何者なのか」「文化とはなんなのか」「愛って何?」といった考えも、立派な哲学であると言えます。
つまり、ものの本質を考え見抜き、捉えることです。
基礎研究に似ていると言っても良いでしょう。

少し詳しく説明します。
例えば現在役に立つ薬や医療というものは、これらを実用化につなげる応用研究によって生み出されました。
一度医薬品を作ってみて、安全かどうかのチェックを行ったり、実際に使用してもらったりする過程を経て、安全な薬が生まれました。

しかしその大前提となる、例えば心臓がどのように動いているのか、脳の役割は何なのか、手足が動く神経はどこでどう繋がっているのか・そもそもどうやって動いているのか等、これらの仕組みが分かっていないと医療の進歩なんて夢のまた夢、病気を治すということすら不可能だったでしょう。
これらを解明したものが、基礎研究だと言えます。

哲学もこの基礎研究と同じようなもの

基礎研究は今後応用に使えるかどうかはわからないまでも、そこにあるものの真髄を知るための研究です。
哲学もこの基礎研究と同じようなものであると言えると浦壁伸周は言います。
普段一般的に使用されている言葉「私」「文化」「愛」というものが一体何であるのか、仕組みはなんなのか、なぜ生まれたのか等を考えていくことです。

そんな哲学が実際に人々の役に立った例もいくつかあります。
その最たる例のひとつが、世界平和です。

かつての人類は自分たちの利益のみを考え、日々争いや戦争を繰り返してきました。
そんな戦いの日々をどうすればなくすことが出来るのだろうかと、何千年もの間かつての学者たちは答えを出せず考え続けました。
神の決断だから仕方ないものだという結論を出す者もいれば、天災のひとつと変わらないから不可能だと考えた者もいたようです。

ホッブズの「万人の万人に対する闘争」

そんな中ひとつの案を出した人間がいました。
リヴァイアサンの著者、トマス・ホッブズです。
ホッブズは自然な状態、つまり現在あるような法や道徳といったルールや考えを知らない状態であれば、人はみな平等であるものの安心できる生活を送れないという考えに至ります。

これをホッブズはこれを「万人の万人に対する闘争」と名付けました。
そこでホッブズは、争いで勝利したものではなくみんなの合意で選んだ権力者に采配を決定するという、絶対的ルールを確立させることを提案しました。

そんなホッブズのおかけで、人々が争いあう生活は終焉を迎えます。
しかしそんなホッブズの思想にも穴がありました。

あまりにも人民の自由がなかったのです。
そこで自由のある生活を手に入れるにはどうすればいいのかを考え、結論を出したのがジャン=ジャック・ルソーです。

ジャン=ジャック・ルソーの「社会契約論」

そんなルソーが出した著書が、その名も「社会契約論」です。
かつてのホッブズ達の思想を受け継ぎ、今の近代教育の大きな基盤を作った人物だと言えます。

その考えは、人々は個人の私利私欲、つまり自分勝手なことばかりを考えている人の集団というものに個人間の平等が生まれない。なので平等な社会を築くためには、個人が全体の幸せを考えて行動することが大切だというものです。

つまり「自己中心的考え方ではいけません。みんなのことを考えて行動しましょう。」というような今や「小学校でも習う当たり前なこと」だと言えるでしょう。
しかし「社会で平和に行動するにはどうすればいいのか」という問題を誰かが追求しなければ生まれなかったかもしれない考え方です。

そこからさらに、自由とは何なのか、認め合うとは何なのか、これらの考えを追求した結果、「人を殺してはいけない」という考えが生まれ、「人はみな対等である」という考えが浸透し、今の平和な社会が生まれました。
今やさも当然のように感じる考え方は、全てかつての哲学から生まれたものだと言えます。

浦壁伸周は哲学にどのような答えを出すのか?

ひとりの人間では到達できなかったような考え方・問題の解決方法に、時代を経て、思想家や学者が様々な考え方を加えてバトンをつなぎ、そして今があります。

かつての人は「考え方」の基盤のない時代に、その基盤を作るという非常に難しいことをしてきました。
そして現在、平和と呼べる今ではあるものの、まだ世界では戦争や争いの絶えない地域も存在します。

また自分という人間を愛せなくなったが故に自ら命を落とすような人もいます。
そんな問題はどうすれば解決できるのか考えてみるのも、立派な哲学だと言えます。

「私という人間はなんなのか」

「愛とはなんなのか」

「争いを止めるにはどうすればいいのか」

これらの考え自体は、今後どのような役に立つかはわからないですし、結論が正しいのかどうかも証明することが非常に難しい問題です。
しかし考えを追求・熟考すると、もしかしたら問題の解決策に繋がるかも知れません。

これらの考えを追求するために、かつての歴史を改めて勉強する必要はそこまでないと言えるでしょう。
もうすでに考え方としては「当たり前のこと」といて充分身についているはずです。

浦壁伸周の否定学ー第2章より引用

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